「冷て……」
金と灰色の眼許が瞬き、つぶらな瞳に意識が宿る。
ひらける視界に映るのは、仄暗い灯り取りの温和な光。
あたま向こうで、カタカタと駆動音が響いている。
瞬いて見つめた天井にも見覚えがある。
そこに、真白く輝く光芒が射し込む。
「あら……衛士さん?」
光源が近くへと浮き寄り、顔を覗いてくる。
「目醒めたのね?」
「……歌姫、さん?」
「あら、私のことも、判るのかしら」
「え? ええ、はい」
「なら、ちょっと待っていなさいな。ネクターを呼んでくるから」
麗しい笑みに返事をするより早く、真白い光源が奥へと引っ込む。
と同時に、嗅いだことのある独特の香りに気が付いた。
「ほぅ、起きましたかな」
今度は野太く奥ゆかしい低声が降る。
金と灰の眼が瞬き、よく見知った姿を視認する。
「ほっほっほ。なんとも、お久しぶりですなぁ」
「大将……ってことは、ここはやっぱり〔ガレージ〕ですか」
「ごもっとも」
豊かに蓄える髭を摩り、大将と呼ばれた走り屋——グランツィーリーが徐に頷く。
その仕草に懐かしさを覚えながら、金と灰の眼が話を続けようとした、ちょうどそのとき。
『衛士さ〜ん』
奥の明かり向こうから聴き慣れた声と穏しい跫音が近付いてくる。
「ネクター?」
『飛行士にーさあああああああああ』
「……と、サフォ」
「あああああああああんっ!」
「うわ」
穏しい跫音の向こう側から、駆け寄ってきた呼び声がそのままの速度で突っ込んでくる。急拵えの寝台は間もなく崩れ、二つの影が床に転げ落ちた。
「っ痛え……」
「大丈夫ですか〜?」
「ああああああああ! 飛行士にーさんっ!」
「あー……いや、まず落ち着け」
外套に華奢な身を包んだ青年——サフォーレが確と抱きついて離れない。絡んだままの二つの影から手助けを求める手が伸びる。
「冷てっ」
すると、ひんやりとしたものが手を掴み、中性的な声色で明るく名を呼んでくる。
「……お前は」
寒気に震える手を握るのは、通常なら掴めるはずのない水塊の掌。
見覚えのある姿より、やや幼さを残すカミナリ雲。
「ヴィッダーでございますっ」
「ヴィッダー……って、〈雫〉の?」
「はいっ! 今回はヴィッダーのことが判るのですねっ」
くるくると巻く水塊を湛える綿雲が寝台の上で浮遊している。
そこへ、崩れた寝台の麓を覗くグランツィーリーが分厚い掌を伸ばした。
「大丈夫ですかな」
「ああ、はい」
「にーさああああああああああっ!」
「あーうん、判った……判ったから、今は離せって」
離れない手のひらを宥めすかし、グランツィーリーの手を借りて立ち上がろうと力を込める。
だが、力の入らない膝を崩し、その場に倒れ臥してしまう。
「だっ、大丈夫ですかっ!」
「立ませんかな」
「ああ……駄目だ、これ」
返事に続いて呻くからだをグランツィーリーの分厚い手が起こす。
仄灯りを宿す獣牙色の前髪は眼許を隠し、すっかり息が上がっている。
「サフォーレ殿」
「ふぁい」
「御支え願えませんかな。寝所を立て直しますので」
「は、はいっ!」
走り屋より託され、全身で寄り掛かってくる重いからだを支えるため、サフォーレは懸命に力を込めた。
「悪りい……お前には、重いだろ」
「そんな……こと……ないですっ……」
どう見ても重そうな返事をする御針子の顔が真っ赤に染まっている。
「はは……ありがとな……」
寝台を元の形に組み直したグランツィーリーの采配で、自由に身動きの叶わないからだが無事に横たわる。落ち着きを取り戻した金と灰の眼は、介助の労いもそこそこに、上がっていた息も整い始めたところで改めてからだを起こしてもらい、片脚を引き寄せて座り直すと、いつの間にかふたつに増えている綿雲の片方を見上げた。
「あ、あのさ」
「はいっ」
「ヴィッダーって、いつも俺の髪ん中に居た〈雫〉だよな?」
「そうですっ」
「〔ゆめ〕の砂浜で、〔御役目〕を解いた……」
「覚えておいでですかっ」
「忘れるなんてことはねえさ……」
「記憶も確かならば良かったですっ」
「……お、大きくなったな?」
「それはもう、おかげさまでっ」
綿雲を抱えてにこつく水塊の隣に、綿雲と細長い水流を湛える水塊が割って入る。
「わたくしイドロフォーもおりますですよっ」
「イドロフォーも……ってことは、他の〈雫〉たち、みんな〔成長〕してんのか」
「はいっ」「勿論ですともっ」
水塊の声色が揃って湧く。
目の当たりにする綿雲にしばらく感心していた金と灰の眼は、ふと、口を引き絞った。
「どうされましたか?」
ヴィッダーが小首を傾げて近寄った。
「いや……俺は、最後にお前と別れて、離島の〈深寒区域〉まで踏み込んでさ……」
目の前にいる水塊の子どもとの記憶を辿る金と灰の眼許が前髪で陰る。
そこに、ヴィッダーの明るい声があぶくを伴って湧く。
「存じておりますっ! ですから、皆さまでお探しして、寒冷離島からお連れしたんですよっ」
「でもよ、あそこは〔昼夜〕の僅かな間でも〈吹雪〉が積もって、何が何処にあるかもすぐに判らなくなるはずだろ? どうやって……」
「はっ。もしやそこは覚えておいでではないです?」
「……んんっ?」
あたまをもたげる表情に〔ガレージ〕の仄灯りが射す。
「ならば、ヴィッダーが寒冷離島でお話ししました、これまでの御説明も?」
「せ、説明? いや、わっかんねえな……」
「なるほど……それでは!」
「うわ」
あぶくを湛えて弾ける水塊が目の前で踊った。
「もう一度、ヴィッダーが順を追って御説明させていただきますよっ」
元気溌剌な水塊の勢いに目を瞬かせた金と灰の眼は、困ったような、それでいて嬉しそうに眼尻を弛ませた。