『主さまー! ヴィッダーはやりましたよー!』
空から音が降ってくる。
遠く、別れを告げたはずの音。
その響きは、かつて一方的に言い懲らしてしまった同僚の、いつもは明るげにしおらしく、それでいて勇ましい声色に似ていた。
思わず、同僚の名を口にする。いくつもの音が戦慄いており、その中に名を呼ばれたような音も混ざりだす。耳聡いとは程遠く、どうも上手く聞き取れない。
だが、目の前の綿雲とは視線が合った。
同僚とよく似た水塊の貌。
しかし、再度、同僚の名を呼ぶと、否定の音が雨粒となる。
『主さまではありません、ヴィッダーでございますよー!』
同僚を主と呼ぶその名を聞き受け、視界の代わりに鮮やかな記憶が蘇る。
解れの多いこの身を案じる同僚が就かせてくれた、十二体居る飛沫のひとり。寒冷離島の〔ゆめの砂浜〕に置き去りにした水塊の子ども。淋しげな水面で役目を解かれた別れの汀、凍り付かないよう、絶えず生まれていたせせらぎだけの寂寥感を思い出す。
まだ口も利けない裁縫上手の水塊だった同僚の飛沫が、今では同僚のように言葉をあやつるまで〔成長〕している……
目の前の綿雲に、思い付くままの感嘆を為すのも束の間、焦点はうまく定まらず、身体は思うように動かない。身を起こそうと力を込めたつもりが、視界ががくがくと大きく揺れて惑う。
『ぁぁぁぁぁぁぁぁ飛行士にーさん!』
先ほどよりもはっきりと、聞きなれた声が届き始める。
少年よりも大人びる声は、集落の人々の着衣を仕立てる若き御針子。
『衛士さ〜ん、無事に息を吹き返してくださいましたね〜』
間延びした柔らかい声は、集落の子どもたちの世話をする嫋やかな掃除娘。
二人の顔を思いついたところでまぶたが重くなり、再び視界が暗闇に閉じる。
名前を呼ぶ音が。
空から降っていた音が遠去かる。
意識がふつりと揚力を失い、次第に高度を落としていく。
天籟の透き通るひと鳴りに、意識の無い風景が羽搏く。
あたまのてっぺんより向こう側から、細波と水の凍りつく音がする。